名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)369号 判決 1977年10月24日
控訴人 井倉こと 酒井米子
右訴訟代理人弁護士 古井戸義雄
被控訴人 松本雅治
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 梨本克也
主文
原判決を取消す。
被控訴人らの請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、
被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
二 当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、当審における主張立証として左に付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決中、七枚目裏三行目、一二枚目裏二行目及び一五枚目表六行目中「天野さち子」とあるのをいずれも「天野ちさ子」と訂正し、同一五枚目裏六行目中、「各被告作成部分の」とある部分及び同八行目中「が、被告作成」以下同一〇行目までを削除する)。
1 控訴代理人は、訴外鈴木幸男は被控訴人らが支出した本件売買代金七四〇万円と訴外丸尾富男に対する謝礼金一〇〇万円を被控訴人らに支払って、被控訴人らの本件売買に関する権利の譲渡を受けたから、被控訴人らは本件訴を遂行するにつき利益を欠くに至ったものである、と述べた。
2 被控訴人ら代理人は、控訴人の右主張事実は否認する、と述べた。
3 《証拠関係省略》
理由
一 控訴人は、訴外鈴木幸男は被控訴人らに対し金八四〇万円を支払って、被控訴人らの本件土地売買に関する権利の譲渡を受けたから、被控訴人らは本件訴を遂行する利益を欠くに至った旨主張するけれども、右事実を確認するに足る証拠はなく、却って、《証拠省略》によると、被控訴人らは本件土地の引渡を受けることが早急にできなくなったので他に住居を求めるため、やむなく訴外鈴木から金八四〇万円を借り受けたことが認められるにすぎず、したがって、控訴人の右主張は採用することができない。
二 《証拠省略》によると、被控訴人らは訴外鈴木幸男を代理人として、昭和四八年五月一五日、名古屋市内の喫茶店「パーラー資生堂」において、控訴人の代理人と称する訴外丸尾富男との間に控訴人所有にかかる本件土地を代金七四〇万円で買受ける旨の売買契約を締結したことが認められる。
三 そこで、訴外丸尾が右売買契約を締結するにつき控訴人から代理権の授与を受けていたとの被控訴人らの主張について検討する。
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 控訴人は訴外藪谷某が西尾信用金庫から融資を受けるにつき本件外の控訴人所有にかかる約二〇〇坪余の土地を担保に供したことがあるところ、期限がきても右訴外人が金員の返済をしないので、控訴人は昭和四八年一月末頃弁護士と自称する前記訴外丸尾にその解決を依頼し、その頃、同訴外人に自己の印鑑証明書と実印を渡した。
2 その後、同訴外人から右担保に入っている土地を高知駅前にある訴外藪谷の兄の所有する土地と交換することによって解決してはどうかとの提案があったので、その手続を右訴外人に依頼することとし、その頃いずれも自己の住所、氏名を記載して不動文字以外は空欄の不動産売買契約書、不動産売渡証書、白紙委任状、不動産売買予約証書のほか前記本件外の土地の権利証及び実印を交付した。
3 ところが、被控訴人らの代理人である訴外鈴木が同年七月頃、「控訴人の売り渡した本件土地につき明治用水のことで判がもらいたい。」と言って農地(配水地)転用等の通知書と題する書面を持って控訴人方を訪ねてきて、始めて、控訴人は本件土地が他に売り渡されていることを知った。しかし、当時そのような考えを持っていなかった控訴人としてはこれに驚き、その頃、訴外丸尾を詐欺の被疑事実で告訴した。
4 なお、本件土地中七九番二の土地には殆んど一ぱいに控訴人所有の木造瓦葺平家建の納屋が、また同番一の東南隅には控訴人所有の木造瓦葺平家建の居宅が建っていた。
以上の事実が認められ(《証拠判断省略》)、右認定の事実に徴すれば、前記被控訴人らの主張にそう《証拠省略》は信用しがたく、他に右主張事実を認定するに足る証拠はなく、むしろ右認定事実によれば、訴外丸尾は本件土地を売渡すことにつき控訴人から代理権の授与を受けていなかったものと認めるのが相当である。
四 次に、民法一〇九条の表見代理の成否につき検討する。
《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
1 訴外川崎正男は土地販売の会社に勤務してセールスの仕事に従事していたものであるが、昭和四七年一二月頃、前記喫茶店で初対面の訴外丸尾から、「宅地があるが誰かを紹介してくれ。」との依頼があり、昭和四八年二月上旬頃再度右喫茶店で訴外丸尾に会ったとき、同訴外人から控訴人所有の本件土地ほか二、三個所の土地の紹介があり、土地の買手を見つけてくれとの依頼があった。
2 訴外川崎は訴外丸尾なる人物については事業に手を出している人ということを聞知している程度で、詳しくは知らなかったが、右土地の紹介のあった当時、同訴外人は控訴人の印鑑や印鑑証明書を見せて、このように控訴人から土地の売買を委せられているということであった。
3 ところで、訴外川崎は同年三月上旬頃、かつて同一の建て売り住宅の販売会社に勤務していて知り合い、当時は個人で注文住宅の販売をしていた訴外鈴木に前記土地の紹介のあったことを伝えておいたのであるが、訴外鈴木は、みずからの親戚にあたる被控訴人松本雅治、同京子夫婦から、同人方住宅地を探し求めるよう依頼を受けていたので、同年四月初め頃、前記喫茶店で、訴外川崎とともに、訴外丸尾に面接して、前記紹介のあった土地につき尋ねた。
4 右話し合いに際し、訴外鈴木、同川崎は土地の所有者である控訴人とは面識もなく、本件土地を見たこともなかったので、控訴人と面接することの了解を求めたところ、訴外丸尾はこれを承知したので、右鈴木は川崎とともに同月中旬頃控訴人方を訪ね、控訴人に面接するとともに、本件土地が控訴人方の隣地でもあるので、本件土地を見て廻った。その際、控訴人は右訴外人両名を銀行員が土地の調査にきた位に思っていたのであるが、何故か、右訴外人両名は控訴人に対し、本件土地売却の意向や控訴人と訴外丸尾との関係については直接尋ねることはしなかったし、また本件土地の一部に前記のとおり建物が建っていることまでは確認しなかった。
5 ところで、本件土地は、当時、被控訴人らの居住していた家屋(当時借家住いであった)からは約一〇〇メートルのところにあり、被控訴人松本雅治ら夫婦も本件土地を検分して購入の意向をかため、その後の売買交渉をすべて訴外鈴木に委ねていた。そして、同月一八日頃、訴外鈴木から訴外川崎の手を通じて訴外丸尾に手付金として金七〇万円を交付し、さらに訴外鈴木において売買代金につき交渉を重ねた結果、同年五月一五日、前記喫茶店において被控訴人らの代理人として訴外鈴木が、控訴人の代理人として訴外丸尾がそれぞれ出席して、次のとおり控訴人及び被控訴人ら名義の不動産売買契約書を作成して本件売買契約を締結した。すなわち、右契約締結に際し、訴外丸尾は各控訴人名下には控訴人の印章が押捺され、不動文字以外は空欄のままの前記控訴人名義の不動産売買契約書、白紙委任状のほか控訴人の印鑑証明書を持参してきていたので、訴外鈴木において右売買契約書中の空欄に本件売買物件名、代金、年月日のほか被控訴人ら各自の氏名を記載し、その名下にそれぞれの印章を押印をして、本件売買契約書を完成させた。
以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
右認定の事実によれば、訴外丸尾が控訴人名義の白紙委任状等を所持して本件売買契約を締結したものである事実に徴し、控訴人は訴外鈴木に対して訴外丸尾に本件土地売買の代理権を与えた旨を表示したものと認めるのが相当である。
ところで、控訴人は、右代理行為の相手方である訴外鈴木が訴外丸尾に代理権があると信じたことに過失がある旨主張するので検討する。
前記認定の事実によれば、訴外鈴木は訴外丸尾とは面識はなく、同訴外人のことについては、前記訴外川崎が聞知していた「事業に手を出している人」ということ以上には出でないものと推認せられるところ、訴外鈴木は被控訴人らの代理人として本件売買契約を締結するその約一か月前に本件土地を検分すべく控訴人方を訪ねて控訴人に面接しているのであるから、訴外鈴木は訴外丸尾と控訴人との関係については容易に調査することが可能であったばかりでなく、訴外鈴木はその頃住宅の販売を業としていたのであるから、その間の事情を調査することに気付くべきであった。しかるに、前記のとおり同訴外人はこれらの点につき何らの調査をしなかったのであるから、右事実に照らして、同訴外人が訴外丸尾に控訴人を代理して本件土地を売買する権限があると信じたことに過失があったものというべきである。
五 以上のとおりであって、訴外丸尾が有権代理人であったこと、しからずとしても、表見代理の規定が適用されることを前提に、控訴人との間に本件土地につき売買契約が成立したことを原因とする被控訴人らの請求は理由がないものといわなければならず、したがって、本訴請求は失当として棄却を免れない。
六 よって、これと趣旨を異にする原判決は不当であるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 綿引末男 裁判官 白川芳澄 高橋爽一郎)